|| 「琵琶湖に月を」って提案したの僕やったと思うんです。そういったことをあそこでやれたのはよかったです。
ーーーでは新人賞を受賞した桃園会「どこかの通りを突っ走って」の話など伺いたいと思います。
柴田 そもそも桃園会はともゆきさんがずっと美術をされていて、その年ともゆきさんが海外に留学されていたので、たまたま僕に依頼が来ました。
ーーーそうなんですか!?
柴田 えぇ。それで随分昔のことなんであまり覚えてないですけど。ト書きがすごい印象的だったんですね。なのでト書きを読み込んでこんな感じかなーとラフでデザインして打ち合わせをした記憶があります。でもだいたい(演出の)深津さんと打ち合わせするのが飲み屋なんですね。だから、どう話をしてデザインが落ち着いたかは本当にあまり覚えてなくて。今じゃ、考えられないです (笑)。でもその年にちょうど美術家協会にも入って新人賞をいただきました。
ーーーすごいですね。タイミングといい神懸かってるような…それからずーっと桃園会と?
柴田 いえ(笑)。それが僕もちょっと絵を描きすぎてしまって予算オーバーして、制作さんに仕込みが終わった後呼び出されまして「こんなにオーバーしたら困ります」と言われて (笑)。桃園会さんとはそれ一度切りで。
ーーーなるほど。美術的には演出家も満足だったけれど…
柴田 そうですね。演出の深津さんとはその後何度か別の現場でお仕事させていただきました。
ーーー次に維新派「呼吸機械」、MONO「なるべく派手な服を着る」で奨励賞を受けた時の事を聞きたいと思います。きっかけは何かありましたか?
柴田 そうですね、少し前にさかのぼりますが、大阪市内の共同で作業できる場所で維新派さんと出会い声をかけさせていただきました。 で、「呼吸機械」の一本前の「聖・家族」という公演をホールでされて、それに参加してそのあとに「呼吸機械」をやりました。
ーーーどうでした?こちらは琵琶湖での…
柴田 はい、琵琶湖水上舞台という話で、基本メインの舞台が10間 x 10間で、上手と下手に10間の袖スペース作って…
ーーー「10間x10間作って」と、さらっと言ってますけど(笑)…琵琶湖ですよね?湖に浸かりながら?
柴田 湖畔なので10間x 4間くらいが水に浸かっている湖上で。でも僕らは地上舞台なので舞台上のことだけでした。
維新派さんって特殊で、独自のスタッフさんがいらっしゃって、その技術スタッフの方々が舞台と客席の設営と本番付きをされるんですけど、セットは僕と助手2、3名と役者の大道具係で作りました。
ーーー(笑)。なかなかの大舞台ですよね。
柴田 呼吸機械の時は作業場で毎日50人くらい作業しているんですけど(笑)、衣装とか小道具とか色んな班を合わせてですけどね。毎日コンパネ100枚くらい使っていました。
色んなことが、これまでとはスケールが違うな、と思っていました。
ーーー本当に。
柴田 まだ30歳くらいだったので元気でしたね。
ーーー30歳で維新派の美術。すごいお話ですね。続いてMONOのほうは?
柴田 MONOはもともと劇団員の奥村さんがずっと美術をされていたんですけど、役者に専念したいということで別の方がその後を継いで美術をされていました。その後あるタイミングでご依頼をいただいてそれから12、3年のお付き合いになります。
ーーー維新派とMONOは作風も美術も両極端に違うという印象があるのですが、それぞれどのようなデザイン過程でしたか?
柴田 MONOの時は脚本よりもまず土田さんの構想をお聞きします。でも基本的には会話劇なので、座るところがいるんです。ただ設定は色んな場所なので、前回は江戸時代のタイとか…全然資料がなくて、どうしたらいいのか悩みました(笑)。資料を探してきて当時ありそうな机、椅子、ベンチをまず置いて。
そして毎回同じくらいのサイズの劇場なんでーー6間 x 4間の18尺タッパな感じでーー自分で作るにはちょうど良いくらいな規模で楽しいですね。
ーーー維新派はそうはいかない…ですか?
柴田 いかないですね。松本さんはイメージを映画に例えられることが多かったです、「この映画のあのシーンのアレだ」みたいな話はよくされてました。
ーーー映画のですか。では演出家の1コマイメージが出発点という感じですか?
柴田 そうですね。維新派の台本読んでもイメージがつかみにくくて。なんかこう…暗号みたいな、役者のA.B.C.がグリッドに配置されていて、どこどこでこういう動きの振り付けがついて、振り付け担当の劇団員がいつもリズムを取りながら練習してました。あと音楽のリズムだけが決まっていて、このリズムでこの動きでっていうのも、同時進行で作品とは別に進んでました。その断片的に出来上がって来るものを松本さんがつなぎ合わせていく…ということをされていたように思います。
ーーー松本さんのイメージを元に柴田さんの描いた美術が途中で—例えば音楽のイメージと違って来たとかで—変更になる、ということなどは?
柴田 大きく変更…はないんですけど、「おー、柴田。コレええわー」って言われたことはなかったですね(笑)。
ーーーそうなんですか(苦笑)。
柴田 デザイン過程としてはちょっとずつちょっとずつ松本さんが思っているトコロに近寄っていく…みたいな創り方だったと思いますけど。
ーーー松本さんのイメージに向かって柴田さんの美術や音楽・振り付けが明確さを与えながら向かう感じなのでしょうか。
柴田 そうとも思えますね。当時はしんどい作業でしたが、だいぶ鍛えられました。
ーーー他に印象に残ってることは?
柴田 自分で自分の首を絞めた話ですけど、「琵琶湖に月どうですか?」って提案したのは僕やったと思うんです。
直径6m 高さ3mの半球なんですが、それを合板で切り出して現場に持って行って、新聞紙とボンドを混ぜたものでクレーターみたいなのを造形していって。照明があたると水面の映り込みでまん丸に見えたり、満ち欠けが表現できたりとか、そういったことをあそこでやれたのはよかったです。
夜の琵琶湖にウェットスーツ着た維新派のスタッフさんが入られて、筏に乗った月を転換してくれました。感謝でした。
ーーー写真を見ると完成度がすごく高いですね。
柴田 月の仕上げは維新派の小道具スタッフの方々がやってくださいました、僕の先輩なんです(笑)。
ーーー芸大の(笑)?
柴田 はい。その方を筆頭に仕上げチームがやってくれましたね。松本さんの理想に近づけるよう、野外の厳しい環境の中でも頑張ってくださいました。
ーーーいよいよ本賞を受賞されたシアターBRAVA!「麦ふみクーツェ」の話を伺いたいと思います。
柴田 いしいしんじさん原作の小説があって、それを要約したようなト書きが何ページかありました。良いト書きに出会うと何かひらめくんです。「麦ふみ」の時はそれを読んだ瞬間、「あぁ、なるほど、こういうことか」と思って、パパッと白模型作って打ち合わせに持って行ったら「OK」が出て、すんなり決まったんです。
ーーー細部にまで楽しめそうな賑やかな美術の印象がありますね。
柴田 世界の全てがある倉庫、と書いてあって。色盲の女の子が見ている世界のお話なんですけど。
ーーーまさにぴったりなイメージですね。音楽劇でということに関しては何かありましたか。
柴田 お客さんと一緒に楽しむ!というコンセプトがあって、出演者の皆さんがどこにでもある素材で楽器を自作されて演奏されていました。
ーーーなるほど、とても心惹かれるプロセスですね。その他には何か?
柴田 出力した白黒写真を大量に使用していたのですが、自分でイメージに合うものを写真撮影に行ったり、出力依頼をするための作業などは大変でした。模型から写真のサイズを拾い出したり、出力屋さんにもとてもご協力いただきました。
ーーー確かにこれだけモノに囲まれた装置に出力も加わると大変な苦労ですね。受賞作品に関する沢山のお話ありがとうございました。この後はもう少々お時間をいただいて柴田さんご自身のことを伺いたいと思います。