|||  一緒に創っているみんなが舞台を好きなんだという一体感がたまりません。
大島2
満面の笑顔で話をしてくださった大島さん

ーーーまず簡単に生い立ちから伺います。アートや演劇に関して興味のある子供だったのですか?

大島  服には興味はあったんですが、美術のクラスは大嫌いでした。最初からこんな話ですみません(苦笑)。

ーーーいいえ。理由にとても興味があります。

大島  なぜかというと、その頃は絵を”上手く描く”、”工作を上手にする”かしか褒められなかったんです(怒)。授業名が「図画工作!」。今でこそ色んなことを個性なりで評価をされますが、当時は上手く描けないとなぜか怒られて…絵を描くこと自体は大好きだったのですが、どんどん嫌いになって行きました(笑)。

中学に入ると”米米クラブ”にハマって、ライブに行くために服を一丁前にミシンを駆使して四苦八苦して作ってました。楽しく楽しくてしょうがなかったです。一番純粋にひとつのことに夢中になりました。

ーーー米米クラブですか。確かに衣装を作るのが楽しそうですね。

大島  高校卒業後に短大で被服科に行きました。そこでファッションの歴史とか基本的なことを学んで、より一層深く勉強したいと思いました。好きなイギリスのデザイナーへの想いが募り、短大1年生の春休みにロンドンに短期留学をしました。インターネットもない時代で…大阪のブリティッシュ・カウンシルに押し入ったら、たまたま日本語で書かれた学校のパンフレットがあって、それをボロボロになるまで読みました。「アイ・ウォント・トゥー・エンター・ディス・スクール」くらいな拙い英語で向こうに偵察に行きました。その時にはもう東京を飛び越えて頭にはロンドンしかありませんでした。

ーーー度胸がありますね。卒業後はロンドンに?

大島  はい。とても興奮してたことを今でも覚えています。世界3大ファッション学校のある都市。有名な卒業生・アレキサンダー・マックイーン。ロンドンコレクションを見るために会場を前をうろうろしたり、本当にいろんな事に刺激を受けました。

ーーー学校はどうでしたか?

大島  入学する前に6週間の予備学校(プレコース)で絵を描ける様にならなければいけなっかたんですが、先生が自分の下手な絵を上手く褒めてくれて…それにすごく感動して、やる気が出てきました。教え方も上手で褒めて伸ばされると言うことはこういうことかと(笑)。その6週間の間に自分の中でですが進歩が見えてました。あとは絵の上手い下手よりもアイディアの方を重視する感じがあって。自分に合ってました。

それで何とかファッション準備科に入ることができました。ここには生徒が1学年60人くらいいたんですけど、半年後に本科に上がれるのが20人だけだという噂が流れて、その日から生徒間のバチバチがスゴすぎて… デザイン画のスケッチブックを盗まれる生徒がいたり、足の引っ張り合いが酷くて。

「これは私は蹴落とされる側だな」とそれまですごく好きだったファッションデザインですが、自分の性格を鑑みて他の可能性を探しました。 同じ学校に舞台美術科というものがあって、そこで「衣装もできるらしい」と噂を聞き、試しにクラスを取ってそちらに編入しました。もちろん、この時は舞台美術というものが何であるかも知りませんでした。

ーーーそんなことが?人生の分かれ道ですね。そこからどう向き合っていきましたか?

大島  イギリスでは当然なのですが、セノグラフィーということで衣装だけでなく舞台美術も勉強しなければいけませんでした。ですが、やってみたらすごく面白かったです。しかもこちらの学科はクラスメイトもフレンドリーで、自分に合っていると感じました。

しかし授業初日に「教えない。自分で勉強しろ」と言われたり、全てがスムーズに行きはしませんでした。ただ、そのクラスで言われたことは大人になればなるほどその意味がよくわかった気がします。そもそもデザインは基礎以外教えられるものでもありませんし、自分とは違う感覚やセンスを持った他の人に教える…というよりも”気付き”を助けるだとか向上心を育むだとか…という事だと思います。

それからクラス批評の時間があるのですが、自分のデザインを発表する時には言葉で誤魔化す事が出来ない英語レベルだったので、ビジュアルだけで伝わるようにすごく頑張りました。

ーーーなるほど、没入した時期ですね。

大島  舞台美術を学び始めて、何年か経って気がついたのですが、自分は服飾も好きだけど、それ以上にファッションショーの熱気や大勢の人が集まってのイベントの共有体験にワクワクさせられていたのだと。その時に自分は正しいドアを開けたんだと確証を持つことができました。

ーーー素晴らしいですね。自身を知るというのは大切だと感じます。大島さんは衣裳だけでなく美術もされていますね。

大島  帰国後に縁あって大道具会社に勤め始めて、最初の5年間は美術の仕事をいただいてやってました。ある時、美術をやってると「衣裳を探している」と言われて「衣裳デザインも出来ます」と。そこから衣裳デザイナーとしての道もスタートしました。個人的には同じ作品では両方を手掛けたいと思ってます。やることが多過ぎて本当に大変なんですが(笑)。

ーーー想像できません(笑)。普段どのように作品にアプローチしますか?

大島  作品を読んで最初の印象、最初の絵を大事にしているので割と作品や演出家に対して考え方を変えるという事はないですね。少なくとも最初の段階では…ですが。

ーーーなるほど。ご自身の第一印象をまず発信していくと。

大島  そうですね。でもこれまで関わった作品では、最初に思い浮かんだ絵から出来上がったもので、あんまり逸れたことはないですね。

ーーー衣裳も美術も?

大島  はい。ただこちらも100%最初からはっきりと頭の中で絵を描いて見せるわけではないので、「こんな感じ」というものを段々と肉付けしていく、演出家の方もそれと同時に自分の中のイメージを明確化して擦り合せていく。その過程であまり変更というものはなく大体最初の絵の印象は変わらず残っているという感じです。

ーーー好きなデザインスタイルはありますか?

大島  フリーラインが好きで、まっすぐな線が嫌いですね。美術家にあるまじき考えなんですが、図面を引くのがあまり好きじゃなくて(笑)…特にCAD(※コンピューター図面)のラインが。どちらかというと衣裳の方が好きかな…? 衣裳もパターン引いたりする時ははっきりとしたラインになるんですけどね。

あとは具象よりも抽象性の高いものの方が好きです。色使い、テクスチャー、素材とかで感情と繋がるようなもので表現する方を好む傾向にあります。

ーーーアーティストタイプですね。職業病だな〜と思うことはありますか?

大島  観劇する時は舞台の隅から隅まで観ますね。あとレストランとか入った時にインテリアの細部の寸法など参照にするためについついよく見てしまいます。人のファッションに注視するのは職業病以前のクセです(笑)。

ーーー次に好きなものを伺っているのですが、何かありますか?色、音楽、場所など何でも。またそれらに自身がデザインを考える上で受けてる影響など。

大島  子供の頃は色の好みはピンクとかはっきりとあったんですけど、今はそんなにないですね。自分が選ぶ洋服は紺、緑が多いですが、デザインする上では自分の好みに囚われる事はあまりないと思います。

ーーー衣裳家なので好きなファッションデザイナーなどはいますか?

大島  イギリスのデザイナーでビビアン・ウエストウッドですね。服飾デザイン短大に通ってた10代の多感な時期に彼女のデザインを見て「すごい!」と思って。彼女のショップの本店に行きたいからイギリスに留学したようなもんです(笑)。毎日、店の前を通るだけで感激してました。

 ーーー他に影響を受けたことなどは?

大島  すごく初期の演劇体験の話になるのですが、大学2年生の時にピナ・バウッシュのダンスを見て一目惚れしまし た。その時は外国に身を置いて言語の壁なども感じる中、「言葉がなくても、身体の動きだけでここまで感情表現ができるんだ」「セリフがないぶん、観ている人によって感じ方やストーリーも自由に出来る」と思いました。そこからダンスに大変興味を持つようになり、またダンスの自由な発想からくる衣裳デザインにも惹かれました。

同じく2年生の時にサイモン・マクバーニーのコンプリシテを観て、言葉は全くわからなかったんですけど、最後に羽が落ちてくる場面でなぜか涙がつーッと出てきて、「演劇って言うのは、言葉が省かれた状態でも感動できるんだ」ということがわかりました。

ーーーなるほど。最初の体験とはいうのは本当に大事ですね。ダンス公演に関わることも?

大島  残念ながらあまりダンスの衣裳をする機会はなくて…もっと積極的に活動しないといけないとは思うんですが…

ーーーきっとチャンスは巡ってくると思います。最近とても楽しかった事・大笑いしたことは?

大島  コロナの自粛期間中に猫を2匹飼い始めました。すごい癒しになってくれてます。

ーーーストレスの対処方法はありますか?

大島  寝ることです。とにかく寝ます。どこででも寝ます。

ーーー睡眠は重要ですね(笑)。仕事を楽しむコツは?

大島  毎日ラッキーだなと思ってます。好きなことをしながら生きていけるので。あとはいろんな人に仕事を通じて出会えることもラッキーだな、素晴らしい仕事だなと。

                           必要不可欠なトルソ

ーーーとてもポシティブです。お気に入りのアイテムなどありますか?

大島  お気にいりに文房具は 15cm のコンパクト金定規で、クルッと開くと 30cm になります。使う機会も多く重宝してます。

それからお気に入りというか…この昔から持ってるトルソがないと衣装の仕事は出来ないですね。必要不可欠なアイテムです。

ーーーどんな時にデザインアイディアが浮かんだりしますか?

大島  朝のシャワーですね。シャワー浴びながら色々とその日のやることを頭の中で整理する時に、ついでにデザインのこともふわふわ考えているとぱッと何かの糸口が思いついたりしま す。もちろん、ふわふわ考えたことなんで、後で机に座った時にやっぱりダメだったと思うこともあります。

ーーーデザインスキルを上げるためにしていることは?

大島  スキルもない上に特に何もしてないですが(笑)、どの仕事もこれが人生最後の作品と思ってやってます。

ーーー印象に残ってる公演/作品は?

大島  私がデザイナーとしてクレジットされてはいないんですが、インバル・ピントと関わった初めての作品「100 万回生きた猫」ですね。衣裳・美術助手というタイトルで、彼女のサポート役でした。

ーーーイスラエル出身の?

大島  はい、もう飛び抜けて才能がある人。全部自分でできる人なんですよ。振り付け、デザイン、絵も描ける。もちろん、それを具体的に舞台の上に具現化する人たちは必要なんですが、彼女の頭の中には割と明確に作品が出来上がってる印象で、私たち周りのクリエーターが如何に彼女の奇想天外なアイディアの海にダイブしてそれを掬い取れるか、ですね。稽古場で1つ1つ形になってまとまっていくのは嬉しいですが、特に自分の提案した表面のテクスチャーだったり絵だったりが使われた時の嬉しさは格別でした。

ーーー自分の作品では何かありますか?

大島  海外の演出家と創った作品ですね。 一つはスウェーでンの演出家と組んだ劇団うりんこの「ねむるまち」。彼は、私や俳優さん達に、子供たちに対してどういう風に演劇をアプローチしていく事が大切かを教えてくれました。子供達に演劇を教えることを時々しているので、今でも交流がありますし、常に意識させられる存在です。

もう一つはラトビアの演出家で、これまで3作品ラトビアで彼と一緒に作品を作ってます。彼とは偶然スウェーデンの児童演劇のフェスティバルで出会って、美術家を探しているけどやってみない?と軽いノリで始まったんですが、もう10年くらいのおつきあいです。

ーーーへぇ〜、結構されてますね。すごいです。

初めてのラトビア公演での記念撮影。
コロナ前の2019年の公演。友人のダンサーも出演。

 

ーーー未踏の国ラトビアに行ってどうでしたか?

大島  最初の作品は極寒の2月に2週間の滞在で製作しました。マイナス25度です!バナナで釘が打てる世界。お陰でゲネ終わって高熱が出て本番をベンチに横になって観るという事態になってしまいました(笑)。

ーーーよくご無事で(笑)デザインはどうでしたか?

大島  最初は”水でお絵描き”の大人版ような水を使う書道の練習で使われるシートが面白いな〜と思い持っていきました。乾くと元に戻るという特性があり、日本にしかないこのモノはきっと観ている子供たちの興味を引くだろうと思いました。でも当然空輸するお金もなく自分で大量にロールを抱えて持って行ったので劇場に着くまで大変でした。でも狙い通りに演出家さんがとても気に入ってくれて毎年呼んでいただけるようになりました。

ここ2年はコロナ禍のために残念ながら公演ができてません。早く再開してほしいと願ってます。

ーーーそうですね。海外の方とはよくされているんですか?

大島  シンガポールや韓国やドイツでも作品を作りましたが、それぞれに日本で仕事をしている時とは違う魅力があります。あっと驚く様な道筋を描いて、初日に向かう際のドキドキ感と、一緒に創っているみんなが舞台を好きなんだという一体感がたまりません。

ーーーそのように未知の世界に飛び込む勇気と行動力がすごいと思います。これからもそのバイタリティーあふれる活躍を期待してます。

大島プロフ
プロフィール
大島 広子(おおしま ひろこ)

大阪府出身。

英国セントラル・セント・マーティンズ美術学校、シアター デザインコース卒業。

帰国後、大道具会社勤務の後、ドイツの劇場での研修を経て、独立。

ドイツ、スウェーデン、イスラエ ル、シンガポール、ラトビアなど国際協働作品にも多数参加。 

「ユビュ王」(まつもと芸術館/小川絵理子演出)の衣裳デザインにおいて、2015年度伊藤熹朔賞奨励賞を受賞。

>>>大島広子さんのホームページはこちら

編集後記:

とても素敵なアトリエでお話くださった大島さん。海外に飛び込んでいく度胸には驚かせれました。インタビューをした昨年はとても忙しく活動されていましたが、この勢いでダンスなどの作品でも衣裳・美術と創作の場でのご活躍を期待しています!

 

構成・文・撮影:JATDT広報委員会