JATDTのあゆみ

195810月28日「日本舞台美術家協会」 創立
初代会長に舞台美術界を代表する伊藤熹朔氏、副会長には前衛的な作風で知られる吉田謙吉氏と古典舞台の重鎮である長谷川勘兵衛氏、初代理事長にはショウ・レビューを得意とする三林亮太郎氏が就任
創立当時は約60名の会員により二部制で運営され、第一部には舞台美術デザイナー、第二部には舞台美術の技術者たちが所属した
1962テレビ美術家を中心とする第三部が新設される
1963「日本舞台テレビ美術家協会」に改称
1964舞台美術家集団の先駆けである「関西演劇美術協会」(1950〜1963年)が合流し、松田種次氏を支部会長におく関西支部を新設、会員数は約300名となる
19673月31日 伊藤熹朔会長死去
1968文化庁による第一回「芸術家在外研修制度」が実施され、協会から高田一郎氏が推薦され初の在外研修員として渡英
1969技術者を中心とした第二部会員が会友という形で退会し、舞台部・テレビ部・関西支部から成る三部制の新体制へ移行。これに伴い、各部より、常任理事を選出し、常任理事会が協会全体の運営にあたること、さらに理事長が会を代表することが決定され、吉田謙吉氏が新理事長に就任
1971舞台美術・劇場建築の国際展覧会である、プラハ・カドリエンナーレ(略称:PQ )に初参加
協会の略称をJASTA(Japan Stage&Television Designer Association)とする
全国青年大会演劇に対する舞台美術最優秀作品賞授賞開始
1972真木小太郎氏が理事長に就任
1973初代会長 伊藤熹朔氏の七回忌を終え、「熹朔の会」により運営されていた『伊藤熹朔賞』の名称を協会が引き継ぎ、舞台美術・テレビ美術専門の賞として、協会が新たに運営にあたることとなる
1974初の作品集『日本の舞台・テレビ美術』第1集を刊行
第1回『伊藤熹朔賞』授賞舞台部門は、松下朗氏『レ・ミゼラブル』、テレビ部門は妹尾河童氏『ミュージックフェア』
1975中部支部新設
1976「劇団芸術国際組織(OISTT=現:OISTAT)」日本センター設立に参加
初代理事長に真木小太郎氏、事務局長に金森馨氏が就任
1979北川勇氏が理事長に就任
1980『日本の舞台・テレビ美術』第2集発刊
1982織田音也氏が理事長に就任
1984初の国際展覧会『’84東京国際美術展』開催
『日本の舞台・テレビ美術』第3集発刊
中嶋八郎氏が理事長に就任
1985初の海外展『現代日本の舞台テレビ美術展』を北京・上海で開催
1986第2回海外展をロンドンで開催
1990『日本の舞台・テレビ美術』第4集発刊
1996高田一郎氏が理事長に就任
1997『日本の舞台・テレビ美術』第5集発刊
1998舞台部、テレビ部がそれぞれに別団体へと発展、独立を果たす
協会名称を「日本舞台美術家協会」 略称 JATDT(Japan Association of Theatre Designers &Technicians)とし、組織構成を東日本支部・中部日本支部・西日本支部の三部構成とし、全国的に会員の拡大を図る
新体制の理事長には高田一郎氏が就任
2001石井強司氏が理事長に就任
2004舞台美術デザイナーズカタログ『JAPAN STAGE DESIGN 2004』発刊
全国高校演劇大会における舞台美術賞授賞開始
2007島川とおる氏が理事長に就任
2008舞台美術デザイナーズカタログ 『JAPAN STAGE DESIGN 2008』発刊
渋谷区幡ヶ谷に本部事務所を構える
2012舞台美術デザイナーズカタログ 『JAPAN STAGE DESIGN 2012』発刊
2013堀尾幸男氏が理事長に就任
2015舞台美術の歴史編纂事業開始
2016舞台美術デザイナーズカタログ 『JAPAN STAGE DESIGN 2016』発刊 
舞台美術の歴史委員会によるインタビュー誌 『Buvile』刊行開始
2018創立60周年記念の舞台美術展を開催
201912月 法人化を果たし 「一般社団法人 日本舞台美術家協会」 と改称、略称はJATDT(Japan Association of Theatre Designers &Technicians)のまま
伊藤保恵氏が理事長に就任
2021舞台美術デザイナーズカタログ 『JAPAN STAGE DESIGN 2020』発刊 
2022第一回 新・伊藤熹朔記念賞開催