舞台裏探訪の2回目は来年の開催に向けて始動した「伊藤熹朔記念賞」とのコラボレーション企画です。開催までの1年間にこれまでの受賞者から受賞作品にまつわるお話などをお届けしたいと思います。

vol.2   柴田隆弘(しばた たかひろ)   伊藤熹朔賞の三冠受賞者

08.01.2021

一昨年に一つの区切りを迎えた伊藤熹朔賞は大賞・新人賞・奨励賞・特別賞の4部門からなります。関西を中心に活躍している柴田隆弘さんはこれまでにそのうちの3つの賞を授与されました。2000年に桃園会「どこかの通りを突っ走って」で新人賞を、2008年には維新派「呼吸機械」とMONO「なるべく派手な服を着る」で奨励賞を受賞、8年後の2015年には満を持してシアターBravaの10周年記念の公演「麦踏みクーツェ」で本賞を受賞されました。今回は柴田隆弘さんの多岐に渡る「舞台美術作家」としての活動、受賞作品の裏側の話などをお届けしたいと思います。

インタビュー: 北五美術にて( 06.26.2021 )

屋号&柴
アトリエ兼作業場でお話しいただきました柴田さん。屋号は北五美術。

ーーーまず柴田さんのバックグラウンドを簡単にお聞きしたいと思います。生い立ちから–どんな子供でしたか?幼少の頃からアート・演劇方面に興味があったのでしょうか?

柴田        一般的な普通の家で育ったと思います、両親が演劇や音楽に詳しいとかではなかったですね。小学校の頃は週1回絵画教室に通っていて工作は好きでした。

中2くらいまでボーイスカウトに入っていました。すごく体育会系で、重たいテントを担いで毎月キャンプに行ったりして (笑)、 体力的にすごく鍛えられました。ボランティアをしたり、赤い羽根を配ったりしました。

 

ーーーいつ頃からどんなきっかけで興味を持つ様になりましたか?

柴田         中高はバスケットボール部でした。でも絵は好きで描いていました。高校はデザイン科のあるところに行きたかったのですが、親に反対されて…

で、高校の時に映画が好きで良く観ていて、映画監督になりたいと漠然と思っていました。それで大学受験の時に、大阪芸大に映像学科があることを知って、受けようと思いました。芸大を受験するということで美術の研究所に絵を習いに行くと、そこの先生に「舞台美術も似たようなものだから滑り止めで受けなさい」と指導され受験しました。結果、映像学科は落ちて舞台芸術学科舞台美術コースに合格したのでそっちに入りました。(笑)

 

ーーー人生の分岐点ですね(笑)。

柴田        舞台美術コースには受かったんですけれど、舞台美術というものがよくわかってなくて、高校の通学途中にある劇団が看板をあげているのを見つけて、あそこに行ったら勉強できるのではと思い、高3の1月に思い切ってそこの門を叩きました。

そこで劇団の美術を担当されていた木谷さんに出会いました。普段は姫路で大道具の仕事をしながら劇団の舞台監督や舞台美術をされていて、たまたま家もご近所だということもあり(笑)。大学生の間は、木谷さんの劇団の工房で大道具製作をしたり、芝居つくりのことを教えてもらいながら公共ホールなどで大道具のアルバイトさせてもらったりしました。

 

ーーー柴田さんのホームページのプロフィールに書かれてた木谷典義氏ですね。大学に通いながら、姫路でもすでに活動を?

柴田        はい。アルバイトでしたが。大学では先輩の劇団を手伝ったり、劇団の旗揚げに参加したりしました。当時はまだ現場に行っている学生もそんなにいなかったと思います。でも、現場ではよく怒られていました(笑)。

 

ーーーもう1人の師匠筋の大澤さんとはどうのように関わったのですか?

柴田        大澤先生は大学で大道具の先生としておられて、在学中はもちろん卒業後も先生にお世話になりました。ですが2年くらいでお亡くなりになられて…。

でも先生のところで京都の劇団をご紹介していただき演目に付いたりしました。また、先生の工房をお借りして自分でプランして道具製作をしていました。

そうこうするうちに舞台美術家の池田ともゆきさんが『関西ガチブクロ展』という舞台美術の展覧会を(@扇町ミュージアムスクエア)されるということでお誘いをいただき参加しました。それがきっかけで加藤登美子さんや綿谷登さんと繋がり、同世代の数名と協会に入会させていただきました。

 

ーーーなるほど。少し世界が広がり始めた…

柴田        そうですね。それから当時は演劇祭なども活発で、目指すところが明確にあった気がしますし、元気のある劇団が多かったです。

 

ーーー当時の様子は?

柴田        扇町ミュージアムスクエアに南河内万歳一座さんと劇団☆新感線さんがおられて、屋上を作業場や稽古場としてお借りすることができて、いろんな団体の人たちがそこで装置作ったり、小道具の作業をされていたり… そこでまた繋がりが出来て、こんなん作りたいのですがどうやったら作れますか?と教えていただいたり、仕込みのお手伝いに行かせていただいたりして、技術的なことやコミュニケーションの取り方など勉強になりましたね。

 

ーーー芸術家のコミュニティーという感じですね。

柴田        そうですね。会社には入らず、自由にやっていました。道具の現場とかにも行っていましたが、20代の終わり頃には自分の美術の仕事だけでなんとか生きていました。

 

ーーー素晴らしいですね。その頃に出会った方々で受けた影響・与えた影響などは?

柴田        やっぱり(池田)ともゆきさんですね。

 

ーーー先ほども出てきました舞台美術家の池田ともゆきさん。どういう風に?

柴田        大学では発想力やとりあえず描くみたいに、ふわっと舞台美術を学んだ感じで、あまり技術的な事や具体的なことを得られなかったような…

僕が学生の頃、ともゆきさんが関西で沢山お仕事をされていて、知り合いの舞台監督さんの手伝いで仕込みとかに行くと、その現場の図面や道具帖があって「こんなきれいな道具帖があるんや」とすごく感動したのを覚えていますね。こうやって書くのか、何も知らない劇団員の子がみてもわかる図面だ、と衝撃的でしたね。どうやったらあんな風にきれいに書けるのか研究していましたね。

 

ーーーそういう点ですか。柴田さんもとても熱心な姿勢ですね。ではいよいよ受賞作品についてのお話を伺いたいと思います。