|| 「美術が芝居を運んでいる」と、そうありたいと思ってます。
ーーーそれでは熹朔賞のことについて伺いたいと思います。新人賞を受けた作品はピッコロ劇団「わたしの夢は舞う~会津八一博士の恋~」です。
加藤 脚本は清水邦夫さんに依頼した書き下ろしで、演出は秋浜先生でした。ちなみに清水さんと秋浜先生は同期なんですね。企画はスタートしたんですけど本が中々上がってこないので、自分で資料を探して” 会津八一”の半生を描いた布貼りの本を入手し読みました。もう台本が来る頃にはかなり会津八一先生のことに詳しくなっていましたね。
ーーーすごいですね。リサーチは徹底的にされるんですか?
加藤 大好きです!このリサーチをしている時と自由奔放にスケッチしている時が一番楽しいですね。
ーーーそこからどの様にデザインを進めていきましたか?
加藤 脚本上の設定は写実的な感じで一幕は会津八一の自宅で、二幕は引越し先の洋館でした。演出の秋浜先生との打ち合わせの中で、盆のセットにして、数多く出入りする書生や女中の動きに合わせて盆を回そうと決まりました。書斎、玄関、幾つか部屋を配置して、壁を全部紗にして色んな場所が垣間見えるという構造です。
ーーーなるほど。
加藤 ただ盆はその中だけのセット飾りになってしまいがちで…。秋浜先生は盆以外の空いてるところは庭ということにして、二幕が引越し先の洋館に変わるのでその対比もあって何も置かないでいいと言われたんですけど、何もないのも面白くないと思ってたんです。
ーーー何か仕掛けられたのですか?
加藤 袖との間の空きが気になったので脚本にないことを一つだけ装置の要素に足したんです。リサーチで調べた書物の中に会津八一先生って自然を愛する方で虫かご/鳥かごをすごく自宅に吊っていたという記述があったんですよ。それで書生の数だけ色んな形のカゴをそこに吊ったんです。清水さんも観にきて褒めてくださり、これはデザイン的にもハマったと思いました。
上演台本にはト書きに“鳥かごがぶら下がっている”と追記され、後年にお出しになった作品集には、「初演・美術加藤登美子」と書かれてあり嬉しかったです。これだけは鮮明に覚えています。
ーーー次に同じくピッコロ劇団「扉の向こうの物語」で奨励賞を受けた時のことを伺います。こちらも同じ座組みでの作品だったのでしょうか?
加藤 まずこちらは原作が岡田淳さんの児童書で、ピッコロ劇団ファミリー公演の一つです。元々は秋浜先生が「観劇にきた子供たちを舞台の上にあげて一緒に作品を作る」という形で始まって、大人も子供も楽しめる趣旨になってます。
ーーー良い企画ですね。子供たちへの演劇体験は未来を創るという意味でも重要だと思います。
加藤 そうなんです。ところが秋浜先生が早くに亡くなられて、劇団の看板女優だった平井久美子さんが演出を担うことになりました。平井さんがピッコロ演劇学校に入った時には、私はすでに舞台美術担当でしたから、そういう関係性もあってすごく頼りにしてくださったんです。私が思う”こんな面白いこと”を提案すると快く受け入れてくれて、すごい思い切って出来た印象があります。
この作品は 9 場面くらいあって、最初の現代の場面から少年の物語の世界に入り込んでいき、その世界の街の色んな場所に行く流れになっています。原作ではルービックキューブを回転させるみたいに街が変化していくって書かれていて、読みながら面白いなという印象を受けました。
ーーーどのように対処していきました。
加藤 舞台では街を階段と扉ばかりで形作る構成舞台と決めました。それらの配置を変えていく事で街が変化していく…ですね。しかしあまり動かすパイが多いと混乱するし、役者の動線も確保できない事もあるので 2 つだけにしました。8 角形(を基本の引枠ベースに 2 つに分かれて)の屋台を2つに割って、それぞれに階段があって 2 層構造の扉があって内側にも別に空間があって反対側に現代の空間があって、色んな組み合わせで場面がどんどん変わっていく。言うなればパズルなんです。
ーーー本当にパズルですね。説明だけでは簡単に頭には浮かびませんが、ワクワクします。
実際の舞台でしか味わえない精密に練られた舞台転換。スムーズな流れと飽きさせない構図が見事。(※クリックするとそれぞれの画像を拡大できます)
加藤 はい。でもただ配置をして場面を作るという以外にも、場面繋ぎにも利用しました。例えば A の引き枠がある向きである場所に置かれている時に、役者が袖から見切れない様にスタンバイして、次の場面で A が回転移動した時に役者はすでにその場面にいる、という感じにも利用しました。全編通してかなり複雑な使い方をしましたね。
ーーーもう稽古開始の段階ですでに細かいところまで動きのプランが出来てたんですか?
加藤 稽古開始の段階ですでに演出家ともかなり動きを詰めてましたので、稽古は私のプランが機能するかの確認の様な感じで見てました。ほとんど大きな変更はなく、演出部の方達が時間とタイミングの整理をしてくれましたね。
ーーーすごいですね。
加藤 幼少期から数学が得意でしたし、パズルを扱うのは大好きなので楽しくできました。技術学校で生徒達にも話すのですが、構成舞台の模型はオモチャだと。演出家にとって転換を考える・場面の流れを考えるオモチャを渡すんだから、楽しめるモノの方がいいでしょと言ってます。そうすると演出家はこれに刺激されて、他の(面白い)ことも思いつくから、と。
ーーー確かにそうですね。互いに刺激し合えるというのは良いですね。
加藤 転換がとにかく魅力の装置でした。当時、熹朔賞に出展した時に東京の年配の舞台美術家の方が「これは芝居家(しばいや)が作った舞台装置だ」と褒めていただきました。自分でも大学の時から芝居のことを考えた美術家だと思ってずっとやってきてましたので、とても嬉しい言葉でした。最近も劇評家で演出もされてる方が、加藤さんの作品は「美術が芝居を運んでいってる」と言って下さいましたね。
ーーー芝居を一緒に創っている、と。
加藤 そのような言葉をいただくたびに、そうありたいと思ってやってます。でも出展した際にも思いましたが、実際に舞台を見ないとその良さが写真では伝わらないのがジレンマですね。
ーーー確かに実際に観劇しないと難しいですね。一方で写真映えする装置もありますし。
加藤 関西にいるジレンマは審査員の人が誰も公演を見てない…ということなんですよ。予算や出展する際の手間費用のことも含めて東京以外の人間が出展するのはハードルが高いですね。
ーーー難題はまだありますが、“新生”になりこれから少しずつでも解消されていくと良いですね。
(※第1回伊藤熹朔記念賞では、西日本支部・中部支部からの協会員が審査員として参加しています。)
|| 結果的に思い切ったことが出来て、賞をいただけたので最高の気分でした。
ーーーさていよいよ本賞です。2017年公演の「小さなエイヨルフ」ですが、こちらの作品のことをお聞かせください。
加藤 同じくピッコロ劇団の公演なのですが、演出が文学座の鵜山さんでこれまでとは座組みが大きく変わり、私以外のスタッフは鵜山さんが連れてこられました。まずそれがとても良い刺激になりましたね。
ーーーどう良かったですか。
加藤 古宮俊昭さんの照明デザインは本当に感激しました。LED を使用しているんですけど、すごく良いんですよ。ホリゾント 1 つとっても今まで見たこともない美しい染まり方、それから星球の瞬きにしても素晴らしかったです。
ーーーいきなり大絶賛ですね。確かに照明は美術の見え方を大きく左右します。
加藤 脚本はイプセンで、ト書きに装置の描写がすごく綿密に書かれていて、その通り絵を描いたら大変なことになると感じました。1 幕はある夫婦のお屋敷のガーデンルームで、2 幕はフィヨルドの湖の岸辺、3 幕はそこから旅立っていく、と変わっていきます。日常の生活からどん底に落ちた人間の再起を描いていて、最後は夫婦は前を向いて生きてゆくという話なんです。
ーーーどのように進めましたか?
加藤 脚本をしっかりと読み込んで、テーマも設定もわかり、そして好きな調べものもして、打ち合わせに望みました。鵜山さんは物静かな方で、すーっと取り出して見せてくれたんですよ。「これなんですよね…」と、現れたのがムンクの”叫び”の版画バージョンだったんです。少々意外でしたが楽しいなと思いながら聞いていて、「透明のガラスの床が浮かんでいるみたいな感じなんですよね…」っておっしゃるんです。どうやら白黒の世界を想像されてるみたいで、プロジェクション・マッピングで場面を変えていこうと考えている様子でした。
それが 1回目の美打ちで、終了後にマッピングの使用に対して抵抗感があったのを覚えています。
ーーーなるほど。
加藤 それで次の打合わせに、ムンクの”叫び”の絵のカラー版の案を持っていったんです。あの絵の世界でお屋敷の床が浮かび上がっている絵を描いて。透明の床って言われましたけど、それは明らかに予算的に無理でしたので。さらに演出家のリクエストで針葉樹の森を入れたのですが、その針葉樹のパネルにいっぱい穴を開けて灯りが出たら面白いと思い、色々と鵜山さんの提案にプラスアルファで私のアイディアを盛り込みました。
ーーー演出家の反応はどうでしたか?
加藤 鵜山さんは私がプレゼンしている間、何もおっしゃらないんですよ。私が喋りたいだけ喋って、その後にぽつりぽつり 2,3 の課題を下さるんですよね。それを聞きに東京に行くという…(笑)。
ーーー(笑)
加藤 あと芝居の邪魔になると思ってやり切らなかった――つまり、私の”やりたいけど遠慮している事”――に対して、もっとやっていいよと受け入れてくださいました。長年やっていると舞台上での美術の主張具合というものも分かって来て、美術が主張し過ぎるかなと思ってたら、その様なことは見透かされるんですよね。最初は床のこの赤い色も彩度を落としていたんですけど、最終的には”叫び”の絵のままに結構強い配色になったと思います。
ずっと気にしていた透明なガラスの床ですが、浮いているということが重要だと思ったので、床から下の支えのベース部分を 1 尺中に控えてデザインしました。ベース部分は影になって見えなくなるかなと思ったんですが、鵜山さんが気にされていたので、劇場の床の水の流れの模様をベースのケコミにまでつなげて目の錯覚を利用しました。これも上手くいって納得していただけました。
ーーー評価はどうでしたか?
加藤 劇場入った瞬間にワクワクしたとか、配色に度肝を抜かれたなどのアンケート回答があったと聞きました。色に関しては照明の小宮さんの大胆な色使いもかなり助けになっていたと思います。授賞式に鵜山さんと照明の小宮さんが来てくださって感激しました。本当に結果的に思い切ったことが出来て、賞をいただけたので最高の気分でした。
ーーー色々とやりとりがあって到達した美術作品が評価されてよかったですね。受賞作品に関するたくさんのお話ありがとうございました。
いつもはここから加藤さんご自身のことを伺うのですが、残念ながら今回は時間切れのため数十カ国の旅のお話も含めて、別の機会にぜひお願いします。
PROFILE
加藤 登美子(かとう とみこ)
ピッコロ舞台技術学校講師。大阪芸術大学非常勤講師。
大阪芸術大学 舞台芸術学科 舞台美術コース卒業。同大学在学中、「南河内万歳一座」の旗揚げに参加。以後同劇団の全ての舞台美術を手がける。
兵庫県立ピッコロ劇団の旗揚げより関わり、多くの作品を担当している。1987年海外公演の経験をキッカケに、長期滞在型渡航を始め、現在までに訪れた国は20ケ国以上。
1992年ピッコロ舞台技術学校講師就任。1998年大阪芸術大学非常勤講師就任。
受賞歴:
1983年 第9回舞台テレビ美術展大阪府知事賞
1997年 第24回 伊藤熹朔賞 新人賞
1999年 大阪舞台芸術奨励賞
2011年 第39回 伊藤熹朔賞 奨励賞
2013年 尼崎市民芸術賞
2018年 第46回 伊藤熹朔賞 本賞
編集後記:
時間がなく加藤さんのキャリア初期の一部と受賞作品の話のみしかお届けできませんでしたが、今回お伝えできなかった他の海外公演やバックパーカー旅行の話も番外編として別の機会にお届けしたいと思います。
大学卒業間近のご実家での騒動や小劇場による海外公演の黎明期のバイタリティー溢れる活躍からは想像できない明るく温和な雰囲気がとても魅力的でした。また病気と闘う子供たちに髪の毛を贈る「ヘアドネーション」をしたり、立上げからから関わっている日本初の公立劇団であるピッコロシアターとともに地域の社会問題に取り組むその意識の高さはこれからの芸術家の描く姿の一つかもしれません。これからも加藤さんの活動に注目です!
構成・文・撮影:JATDT広報委員会